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東京高等裁判所 平成6年(う)501号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入する。

訴訟費用中、当審国選弁護人及び証人Aに支給した分を被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人五十嵐二葉が提出した控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

第一理由齟齬の論旨について

論旨は、要するに、原判決は、被告人が原判示日時、場所において、覚せい剤約〇・〇二グラムを含有する水溶液を自己の身体に注射して覚せい剤を使用したとの事実を認定し、その証拠として、(1)被告人の平成五年一二月二〇日付け司法警察員調書及び(2)司法警察員作成の同月八日付け写真撮影報告書を共に挙示しているところ、右(1)には、被告人が、自分の左肘の内側に注射した旨の記載があるのに対し、(2)には、「右腕の注射痕」と説明された写真があるだけで、左腕の注射痕を認めた旨の記載もないから、右は、左腕には注射痕がなかったことを推認させるものである、このように、原判決挙示の証拠の中に、本件犯行が、覚せい剤を左腕に注射する方法で行われたことを推認させるものと、右腕に注射する方法で行われたことを推認させるものとがあり、証拠相互の間に矛盾があるのに、原判決は、この矛盾した証拠を証拠の標目に掲げたまま、判決理由においても何らの釈明もしないまま有罪の認定をしているから、原判決には理由齟齬の違法がある、というのである。

そこで、検討するのに、原判決書及び原審記録によれば、原判決は、被告人が平成五年一二月四日頃、肩書住居において、覚せい剤約〇・〇二グラムを含有する水溶液を自己の身体に注射して使用したとの「罪となるべき事実」を認定した証拠として、「罪となるべき事実」と同旨の公訴事実を全面的に認めた被告人の原審公判廷における供述、公訴事実記載の日時、場所において覚せい剤を自己の身体に注射した事実を詳細に自白した被告人の検察官調書及び平成五年一二月二〇日付け司法警察員調書、さらには、被告人が同月八日に提出した尿から覚せい剤が検出されたとする鑑定書、同日撮影した被告人の腕の注射痕に関する写真撮影報告書等の証拠を挙示していることが明らかであるところ、原判決挙示の証拠のうち、所論指摘の被告人の司法警察員調書には、右手で左腕に注射した旨の記載があるのに対し、写真撮影報告書には、右腕にある注射痕を撮影したとされる写真があるだけで、左腕の注射痕の写真がないことは、所論の指摘するとおりである。しかし、原判決は挙示していないが、原審で取り調べられた平成五年一二月二〇日付け余罪捜査報告書には、逮捕時被告人の両腕に注射痕と思料されるものが認められたとする記載があることからすると、前記写真撮影報告書も、被告人の左腕には注射痕がなかったとする趣旨まで含むものではないと認められるから、原判決挙示の証拠の中に、所論のような矛盾があるということはできない。また、仮に、右写真撮影報告書が左腕には注射痕を発見できなかったとする趣旨を含むものであるとしても、四日前にした注射の注射痕が必ず残っているとは限らないこと等をも考慮すると、これが自白と矛盾する証拠であるとはいえない。しかも、原判決は、前記のとおり、被告人が右腕に注射したか左腕にしたかを認定していないのであるから、被告人が、原判示日時、場所において覚せい剤を自己の身体に注射したとの原判示事実に沿う証拠は、原判決において十分挙示されていると認められる。原判決には、所論のいうような理由齟齬の違法はなく、論旨は理由がない。

第二審理不尽の論旨について

論旨は、要するに、起訴状記載の公訴事実には、覚せい剤を含有する水溶液を自己の身体に注射して使用したとのみ記載され、右腕に注射したのか左腕に注射したのかが特定されていないが、覚せい剤の使用は、左右いずれの腕に注射してしたのかによって異なる訴因となる上、本件においては、取り調べられた証拠の中に、前記のとおり、どちらの腕に注射したかに関し矛盾があったのであるから、原裁判所としては、訴因の特定、明示の要請上、検察官に対し訴因について釈明を求め、さらには訴因変更命令を発して事案の解明に努力すべき義務があったのであり、そのような措置を採ることなく被告人を有罪と認めた原判決には、審理不尽の違法がある、というのである。

確かに、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定する必要があるが、本件においては、所論が指摘するとおり、被告人の自白調書では左腕に注射したとされていたのに左腕の注射痕に関する写真がなく、所論のいうように証拠の間に矛盾があるとまではいえないものの、注射の部位に関する自白の裏付けが必ずしも十分でなかったため、検察官としては、あえてどちらの腕に注射したのかを特定することなく公訴事実を記載したものと考えられるのであって、右のような本件の証拠関係を前提とすると、検察官は、証拠に基づき、できる限り罪となるべき事実を特定したということができる。その上、被告人及び弁護人は、原審公判廷において公訴事実を全面的に認めて争わず、検察官請求の証拠の取調べに全て同意し、訴因の特定について何らの申立てもしなかったのであるから、このような本件の審理経過等をも考慮すると、原裁判所が、検察官に対し、どちらの腕に注射したと主張するのかについて釈明を求めたり、訴因変更命令を発したりすることなく、被告人に有罪判決を言い渡したからといって、原判決に審理不尽の違法があるとはいえない。論旨は理由がない。

第三再審事由の論旨について

論旨は、本件は、被告人が、逮捕の前夜である平成五年一二月七日に、かつて弟分として面倒を見たBの内妻であるA(当時一九歳)により、知らない間に、飲みかけていたウーロン茶に覚せい剤を投入されて飲まされたというのが真相であるが、被告人は、BにAの世話を頼まれていたため、Aを庇って自己使用の事実を認めていた、しかし、当審において提出したAの手紙(平成六年三月二〇日投函で、同月二二日に被告人が受け取ったもの)は、その後、同女が悔悟の情を見せ、自分のせいでこんな事になってしまって済みませんと謝罪したものであり、右は、被告人に対し無罪を言い渡すべき明らかな証拠である、というのである。

しかし、所論が再審事由に当たるとして援用するAの手紙(以下「三月二〇日付け手紙」という。)には、「お兄さん、Aのせいでつかまってしまった事、Aのせいで刑務所へ行く事ゆるして下さい。」などの記載があるだけで、所論の指摘するような真相を明らかにするものではない。所論は、右手紙は、同女が被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れたことを認めたものであると主張するが、右手紙が出されるに至った経緯、その文面等に照らすと、後記第四の三の1(二)で検討するとおり、右の記載は、単に、Aが被告人の車に置き忘れたタバコケースの中から使い残りの覚せい剤が発見されたため被告人が逮捕されたと考えて、そのことを被告人に詫びたものに過ぎないと解されるから、前記のような本件の証拠構造の下において右手紙を加えて検討しても、原判決の認定した事実について合理的な疑いを生ずることはない。したがって、右手紙は、被告人に対し無罪を言い渡すべき明らかな証拠であるとはいえない。論旨は理由がない。

第四事実誤認の論旨について

論旨は、本件においては、原審で取り調べたどの証拠によって使用の方法を認定しても他の証拠と矛盾してしまう関係があるので、結局被告人の覚せい剤自己使用の事実を認定することができない、したがって、原判決は、認定すべからざる事実を認定して被告人を有罪と認めたもので、事実を誤認したものである、というのである。

しかし、原審において取り調べた証拠による限り、原判示覚せい剤自己使用の事実については、全く疑いを入れる余地がない。すなわち、原審で取り調べた証拠によれば、平成五年一二月八日午後七時二分頃被告人がポリ容器に採取して提出した尿から覚せい剤が検出されたこと、被告人は、同月二〇日付け司法警察員調書において、同月四日午後九時頃、肩書自宅の自室で、覚せい剤約〇・〇二グラムを水に溶かし〇・二五CCの水溶液にし、それを自分の左肘内側に注射した旨の自白をし、同月二四日付けの検察官調書においても、注射した部位は述べていないものの同旨の自白をしたこと、右自白の内容は、覚せい剤使用の動機及び使用の状況を詳細に述べるだけでなく、覚せい剤の入手経緯や使用残量の処分状況についてもかなり具体的に触れるものであったこと、被告人は、原審公判廷においても、公訴事実を全面的に認めて自白しただけでなく、自ら、右覚せい剤を入手した状況や使用の動機等を詳細に記載した上申書を提出したこと、司法警察員作成の前記余罪捜査報告書には、被告人の両腕に注射痕と思料されるものが認められ、うち右腕に鮮明に注射痕が認められた旨の記載があり、また、同じく写真撮影報告書には、被告人の右腕の注射痕を撮影したとする写真があること等が認められる。そして、これらの証拠によれば、右写真撮影報告書に被告人の左腕の注射痕の写真がないことを考慮しても、被告人が、原判示日時、場所において、覚せい剤を自己の身体に注射して使用したとの事実を認める証拠は、十分であると認められる。

これに対し、被告人は、当審公判廷において事実を否認し、弁護人の再審事由の論旨に沿う事実関係を詳細に供述するに至り、弁護人も、当審弁論において、被告人の原審段階までの供述は全て虚偽であって、本件の真相は、被告人が当審において供述するとおりであるから被告人は無罪である旨詳細な弁論をした。そこで、以下、所論及び弁護人の当審弁論(以下、両者を一括して「所論」ということがある。)にかんがみ、当審における事実取調べの結果をも加えて検討することとする。

一  本件起訴に至るまでの経緯

被告人が提出した尿から覚せい剤が検出されたことは、前記のとおりであるが、原審記録及び当審における事実取調べの結果により明らかにされた、被告人が本件により起訴されるまでの経緯の概要を、最初に指摘しておくこととする。

1  被告人は、平成四年一一月に前刑の仮釈放を受けた後、翌年七月頃まで、C商会で電気工として真面目に働いていたが、交通事故(追突事故)に遇って鞭打ち症となり、思うように仕事ができなくなったことから、同年一〇月頃に同社を辞め、同年一一月一四日には、急性肝炎のため足立区のD病院に入院し、同年一二月一日に退院するまで、同病院で点滴治療等を受けていた。

2  被告人は、入院中の一一月二六日午前零時頃から同日午後六時二〇分頃まで、翌二七日午前四時五〇分頃から午後一時頃まで、いずれも医師の許可なく外出し、規則を守れないのなら退院して貰う旨申し渡されたが、「いろいろ事情がある。明日三時まで外泊させてくれ。時間は厳守する。それ以降は、入院して治療を続けたい。」旨訴えて、結局、二八日三時までに帰院しなければ退院するとの条件で外出を許された。しかし、被告人は、二八日午後五時三五分にようやく帰院し、三〇日午前一時頃、「知人よりポケットベルで連絡があったので外出したい。急用ができた。」旨申し出て外出したため、翌一二月一日付けで退院扱いとなった。なお、これらの外出の際使用された自動車は、前記追突事故の代車として被告人がレンタカー会社から借りていたものである。

3  退院後、被告人は、主として渋谷区aにある知人のE方で療養していたが、一二月七日夜、同人方にいた際、たまたまAもE方に来ていた。その後、被告人は、E方を同夜遅く辞去したが、翌八日午前三時五七分頃、東京都葛飾区bc丁目d番先路上で自動車を止めて、携帯電話で何人かと通話していた際、警視庁亀有警察署警察官から職務質問を受けトランク内の所持品検査を受けた。そして、被告人は、トランクの中から木刀が発見されたため、軽犯罪法違反の容疑で逮捕された。

4  警察官は、裁判官から捜索差押許可状の発付を得て、同日午後四時二〇分頃から、職務質問当時被告人が乗っていた自動車内の捜索を実施したところ、同車内からは、(1)左後部座席前の床上に置かれていたプラスチック容器の中から、ビニール小袋に入りさらにチャック付きビニール袋に入った覚せい剤と認められる白色結晶一袋(押収品目録一号物件)及びチャック付きビニール袋に付着した覚せい剤と認められる白色結晶一袋(同二号物件)が、(2)運転席ドアポケット内から、チリ紙に包まれたチャック付きビニール袋に入った覚せい剤と認められる白色結晶一袋(同四号物件)、ストロー状のビニールケースに入った覚せい剤と認められる白色結晶一本(同五号物件)、チリ紙に包まれた注射器一組(同七号物件)、チリ紙に包まれた注射器二組(同八号物件)が、(3)助手席前のダッシュボード内に置かれた黒色ビニール製小物入れ内から、ビニール袋入りの覚せい剤と認められる白色結晶一袋(同九号物件)が、(4)運転席左側のゴミ箱内から、チリ紙に包まれ、さらにマイルドセブンライトの空き箱に収納された注射筒一本(同一二号物件)が発見されて押収された。

そして、これらの白色結晶は、いわゆる予試験及び鑑定の結果いずれも覚せい剤と確認され、その量は、全体(風袋とも)で二・九グラムと、このうち、右(3)の九号物件は〇・〇〇七グラム(正味)と計量された。

5  他方、警察官は、右4の捜索差押の終了後、被告人に対し尿の提出を求めたが、再々の説得によっても、被告人が任意の提出を拒否したため、裁判官から捜索差押許可状(強制採尿令状)の発付を受けて、これを被告人に示し、病院に同行した上、医師の手で強制採尿をしようとしたところ、同日午後七時二分頃に至り、被告人は、自らの意思で尿を提出した。右尿からは、前記のとおり、覚せい剤が検出された。

6  被告人は、自動車内から発見された前記覚せい剤の不法所持の事実で同月九日に逮捕され、引き続き勾留されて取調べを受けた。右取調べにおいて被告人は、右覚せい剤や注射器は自分の物ではない、入院中や入院前後、自動車を知人に貸していたが貸していた相手の名前は言えない旨供述して、結局起訴を免れたが、余罪である覚せい剤自己使用の事実についてはこれを認め、入院中の一一月二七、八日頃、知人が持ってきてくれた約〇・五グラムの覚せい剤のうち約〇・〇二グラムを、一二月四日自宅で水に溶いて注射し、残りは、江戸川の橋の上から捨てたと供述し、同月二七日右自白に係る自己使用の事実により起訴された。

二  被告人の当審供述及びこれに関連する新証拠の概要

1  被告人は、控訴趣意書と題する書面及び当審公判廷において、概ね、次のとおり供述している(以下、控訴趣意書と題する書面を含め、被告人の当審段階における供述を「被告人の新供述」ということがある。)。

すなわち、

自分は、昨年(平成五年)一一月に急性肝炎を患い、足立区にあるD病院に入院して、点滴治療等を受けていた。自分は、かねて、当時服役中のかつての弟分(B)から、その内妻Aの面倒を見てくれるよう頼まれていたが、右入院中、Aから、深夜、自殺を仄めかすような電話が入ったため、医師の言うことも聞かず、千葉県習志野にあるAの家近くまで自動車で駆けつけ、自殺をくい止めたが、そのまま一二月一日に、病気が完治しないまま余儀なく退院となり、その後は自宅又はE方で療養していた。同月七日、E方で寝たり起きたりしていたが、グラス(一八〇CC位入るガラス製のグラス)に注いであったウーロン茶を飲んだ後、携帯電話を修理していたときに、あれっ、ちょっと調子いいな、おかしいなと感じた。その時、Aが、「お兄さん、調子良くなったんじゃない。」というようなことを言い、意味ありげに顔をのぞきこんだので、「何で。」と聞くと、「お兄さん、さっきウーロン茶飲んだでしょう。あの中に元気が出る薬入れたんだよ。」と言った。私が「シャブか。」と聞くと、「うん。」と言ったので、Aがウーロン茶に覚せい剤を入れて私に飲ませたことが分かった。その後、自動車で松戸の自宅に帰る途中、千葉街道のe付近で同乗させていたAを下ろし、タクシーを止めてAを乗せ、タクシーに一万円札を渡して帰した。そして、bの駐車場で、携帯電話で知人と連絡を取っていた際、警察官から職務質問され、結局、尿を取られその中から覚せい剤が検出されたが、自分は、弟分から世話を頼まれたAを逮捕させるわけにいかないことなどから事実を認め、服役するつもりで原審でも虚偽の自白をした。しかし、原判決後、当時関与していた民事事件を処理するため控訴を申し立てた後になって、Aが、「今からでもお兄さんが助かるものなら、事実を証言する。」と言って妻に真相を話したらしく、妻からも、[やくざのしがらみから離れて暮らしているのに、何故Aちゃんのために、生まれたばかりの子供を放ってまでつとめにいかなければならないの。」と詰め寄られ、自分の信念を曲げ男を下げることになるのを承知で、控訴審段階で争うことにした。

2  次に、Aは、当裁判所の召喚に二回応じず、勾引状を執行されて出頭した九月七日の当審第四回公判において、弁護人の主尋問に対し、当初は、被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れて飲ませたことを認めようとせず、被告人に前記第三記載の手紙を出したのは、自分の使い残りの覚せい剤の入ったタバコケース(前記一の4(3)記載の黒色ビニール製小物入れのこと)が被告人の自動車内から発見されたため、被告人が捕まったのは自分のせいだと思ったからである(ただし、その後、被告人が捕まったのは体から覚せい剤が出たからだということは分かっていた)旨証言した。しかし、Aは、弁護人の主尋問の最後になって、被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れた事実を認め、その後は、検察官の反対尋問及び裁判所の補充尋問に対しても、一貫して、大筋において被告人の新供述に符合する証言をした。このように、Aの証言には変遷があり、また、その証言内容は断片的であるが、ウーロン茶に覚せい剤を入れたことを認めた後の証言(以下、これを「変更後の証言」といい、それ以前の証言を「変更前の証言」ということがある。)を整理すると、その要旨は、次のとおりである。すなわち、

被告人が逮捕された日の前日、E方に行くと被告人がいたが、具合が悪そうだったので、元気になればいいと思って、ウーロン茶が注いであった被告人のコーヒーカップに覚せい剤約〇・一グラムを入れた。その覚せい剤は、約一グラムのパケをfで三万円で買った粉状のもので、自分で使った残り(一回分位)をウーロン茶に入れたら、被告人がこれを飲んだので、被告人に「ウーロン茶の中に元気の出る薬を入れた。」と言った(しかし、「覚せい剤を入れた。」とは言っていない。)。その後、自分は、覚せい剤の残りかすのようなものがついたビニールパケをタバコケースに戻し、被告人が送って行ってくれると言っていたので、ハンドバッグと一緒に被告人の自動車の助手席の足下に置いたが、Eが、もう少しいなさいと言うので、自分は同人方に泊まることとし、被告人が一人で出掛けた。自分は、被告人が出掛けるまでにハンドバッグを自動車から持ってきたが、タバコケースは忘れて置いてきてしまった。

3  被告人の妻Fは、当審証人として、概ね、次のように証言している。すなわち、

被告人が逮捕された日の翌日、E方でAに会った際、Aは、被告人が逮捕されたのは自分のせいだから、警察に行きますと言っていたが、何だろうと思っただけで深くは聞かなかった。一審判決が出た後である平成六年(以下、平成六年については、「平成六年」の記載を省略する。)三月二〇日頃、Aから電話があって、「お兄さん、どうなりましたか。」と言うので、「二年だった。」と答えると、「お兄さんが捕まったのは、自分のせいだから、今からでも本当のことを言えば帰って来れるかもしれないんだったら、本当のことを言います。」と言った。Aは、次の日曜日に自分の方から行きますと言ったが、結局、来れないことになり、電報を打ったりして連絡を取ったが、四月の初め頃、漸く尋ねて来た。その時、「お兄さんが捕まったのは自分のせいだし、私のせいで二年間も刑務所に行くと思いながら生活しているのもつらいし、嫌だから、自分でできることがあったらやりたい。」「捕まった時、自動車の中に自分のバッグが入っていて、その中に薬のかすがついたパケが入っていたから、そのせいで捕まったんだと思う。」「それから、Eさんの家にいるときに、お兄さんが飲んでたウーロン茶の中に薬を入れちゃったんですよね。」と言った。

4  被告人の当審における当初の弁護人(国選弁護人)であった松原健滋作成の陳述書及び同人の当審証人としての証言の要旨は、次のとおりである。すなわち、

本件について国選弁護人として選任された翌日である四月二二日に被告人と接見した際、被告人から、「控訴を維持するか、取り下げるか決めかねている。」「事実を明らかにすればAが自分に代わって刑務所に行くことになるが、Aは、自分の舎弟の内妻で、責任を持って面倒を見ることになっているので、Aを刑務所に入れるわけにはいかないし、自分も、生まれて間もない子供もいるし、妻からも本当のことを言うように言われて困っている。」と言われた。早速、Aに事情を聞きたいと手紙を書いたところ、五月九日に、Aの兄から、Aは本件にかかわりたくないと言っている、Fより、Aが被告人の飲み物に覚せい剤を入れたことにしてくれと頼みに来たとの電話があった。そこで、Fに電話をすると、Fは、「Aは、被告人が警察に逮捕された当初から協力すると言っていたので、事情が違う。」「Aがウーロン茶に覚せい剤を入れたと聞いた。」と言っていた。

5  被告人の尿の鑑定をした警視庁科学捜査研究所技術吏員Gの当審証言の要旨は、次のとおりである。すなわち、

被告人の尿については、覚せい剤の濃度についての定量分析はしていないが、鑑定書記載の定性分析の過程で分かった大まかな目安的な濃度からすると、これは、各人の個体差もあるが、目安としては、摂取後大体二四時間以内に採取したものではないかと考えている。採取の四日前に摂取したということも絶対にあり得ないとはいえないが、まずあり得ないと思う。

6  同じく警視庁科学捜査研究所第二化学科長刑事部管理官Hの当審証言の要旨は、次のとおりである。すなわち、

(1) 以前、裁判所から鑑定を命ぜられて、覚せい剤を水で溶かして飲んだ場合の苦みがどのくらいかについて実験をしたことがある。コップに入れた一八〇CCの水に覚せい剤〇・〇一グラムを溶かしたものを口に含んだときは、苦みはほとんど感じなかった。〇・〇二グラムのときは、苦みまでいくかどうか、一寸変かなという程度であった。次に、〇・〇三グラムを実験したら、明らかに苦みを感じたので、その下の〇・〇二五グラムをやったら、やはり感じた。あと、〇・〇四グラム以上になると、確実に感じた。今回、検察官から言われて、ウーロン茶に溶かした場合について同種の実験をしてみたが、水道水の場合とあまり変わらなかった。

(2)覚せい剤を〇・〇二グラム程度摂取すると、一回だけの使用の場合は、個人差はあるが、大体四八時間以内に大部分(約九割)が排泄されてしまい、残りが、非常に少ない量ではあるが、一週間程度排泄される。G証人の言うように、本件の尿にかなり強い反応が出たということであれば、前半の九割の方だと思う。ただし、覚せい剤の連用者の場合は、使用中止後二週間から最高一九日にわたって排泄されたこともある。

7  その他の重要証拠としては、(1)在監中の被告人とFとの間の往復書簡の写(検察事務官作成の捜査報告書添付のもの。弁護人提出のもの二通を含む。)、(2)前記第三記載の手紙の写を含むAから被告人に宛てた一連の手紙の写(前同。弁護人提出のもの三通を含む。)、(3)五月一六日に、弁護人がF及びEを伴ってA方へ行き、同人及びその兄Iと面談した際の状況を録音したテープとその反訳書、(4)刑訴法三二八条所定の弾劾証拠として提出されたAの司法警察員調書四通等があるが、その内容は、必要に応じ、関係か所で触れることとする。

三  新証拠の証拠価値の検討と事実誤認の有無

1  Aの変更後の証言の信用性

(一) 供述の変遷及び自己矛盾の供述の存在について

ウーロン茶に覚せい剤を入れて被告人に飲ませたか否かに関するAの供述のうち、Aの変更後の証言以外のものの概要は、以下のとおりである。

(1) 五月一六日に、五十嵐弁護人がFとEを伴ってA方へ行き、同人とその兄Iと面談した際の状況を録音したテープが存在しているが、その中で、Aは、ウーロン茶に覚せい剤を入れたことを再三にわたり否定している。

(2) 検察官からA証言に対する弾劾証拠として提出された同人の六月三日付け、同月一六日付け(二通)、七月二六日付け司法警察員調書には、概ね、「1」当日、被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れて飲ませたことはない、世話になっている被告人に覚せい剤を混ぜて飲ませるなどということは考えもつかない、「2」覚せい剤の使い残りを入れたタバコケースを被告人の自動車に忘れ、これが原因で被告人が逮捕され尿を取られたと思っていたので、被告人に申し訳ないことをしたと悩んでいた、「3」そのため、被告人に、「私が原因を作って逮捕されてしまい申し訳ありませんでした。」という手紙を出した、「4」被告人からも、「お前のせいで捕まった、家族のために何かやってくれ。」という手紙を受け取ったので、自分は捕まってもいい、何とか助けてあげようと決心して、Fにその旨伝えた、「5」四月終わり頃、FとJで会った際、Fから、「主人が捕まった日にE方であなたがウーロン茶に覚せい剤を入れて主人に飲ませたことにして下さい。このことであなたが捕まったら、面倒を見るから。」と言われたので、「分かりました。」と答えたなどの記載がある。

弁護人は、証拠排除の申立書及び当審弁論において、Aの司法警察員調書の作成は、Aの兄の圧力を利用して作成されたもので違法、不当であり、内容的にも、明らかに虚偽であると主張している。しかし、右(1)の録音テープ及びその反訳書によれば、右各司法警察員調書作成以前の五月一六日に行われた弁護人、E、F、Aとその兄Iとの会見において、Aは、一貫して、ウーロン茶に覚せい剤を入れて飲ませたことはないと述べていたことが認められるから、調書の供述が警察官による取調べにより歪曲された疑いはない。また、その際のIの言動も、穏やかで決して威嚇的ではなく、Aが同人により威迫されている状況は窺われない。したがって、右各調書が、Aの兄の圧力を利用して作成されたとの所論は、採用することができない。また、弁護人は、検察官は、右調書の内容に関し弁護人から証人尋問の機会を不当に奪ったと主張する。確かに、検察官は、Aの証人尋問において、右司法警察員調書に対する弾劾の機会を弁護人に明示的には与えていないが、右証人尋問前に検察官が警察官を通じAの取調べを行っていることは、弁護人が検察官から聞いて予め知っていた上(弁護人の一九九四年七月一五日付け上申書参照)、検察官の尋問中にも現れていたのであるから、弁護人としては、検察官が尋問中右調書の件に触れた段階で、検察官に調書を証拠として提出する意思があるか否かを確認した上で、場合によっては、その開示を求めて、調書の内容について尋問することが可能であったと認められる。そうすると、右検察官の行為について相当でないとの批判のあり得ることは別として、右調書が弁護人の反対尋問の機会を奪ったものであるという弁護人の主張は、当たらない。

(3) Aは、前記二の2のとおり、変更前の証言においては、ウーロン茶に覚せい剤を入れた事実は認めなかった。

このように、Aが変更後の証言をするに至るまでには、Aの供述に変遷があり、変遷の内容も、単に付随的な事情に関するものではなく、これらの証拠は、まさにAの変更後の証言と自己矛盾の関係にある。したがって、Aの供述が右のような変遷を重ねている事実は、Aの変更後の証言について、その信用性を減殺させるものであるといわなければならない。

(二) Aの三月二〇日付け被告人宛て手紙との関係について

Aの三月二〇日付け手紙には、冒頭に「お元気ですか?手紙読みました。Aのせいでこんな事になってすみませんでした。」と、末尾近くに「お兄さん、Aのせいでつかまってしまった事、Aのせいで刑務所へ行く事ゆるして下さい。Aのせいで家族をさみしい思いさせてしまった事本当にすみません。今まで色々ありがとう。」との記載がある。Aの変更後の証言によると、この記載の中の「Aのせいで」というのは、ウーロン茶の中に覚せい剤を入れたという意味であり、このように書いたのは、その前に、被告人から、「Aのせいで捕まった」という叱責の手紙が来たからであるというのである。

しかし、三月二〇日付け手紙の前に、Aから被告人に宛てた手紙は、いずれも熱烈なラブレターであって、Aがウーロン茶に覚せい剤を入れ、これを飲んだことで被告人が勾留され、刑事処分を受けようとしているのを知りながら出し続けるようなものとは考えにくい。もし、本当に自分の入れた覚せい剤のことで被告人が捕まり刑務所に行かなければならないと思っていたのであれば、被告人から前記のような叱責の手紙が来たというだけの理由で、ウーロン茶に覚せい剤を入れたことを詫びる手紙を出すというのは不可解であり、もっと前から被告人に詫びる文面が被告人宛ての手紙に現れていて然るべきだと考えられる。Aの変更後の証言によると、Aは、それまで、覚せい剤を飲ませたことを被告人に気付かれていないと思っていたので、何も言わないでいたというのであるが、Aは、当時被告人に対し「元気の出る薬をウーロン茶に入れた。」と告げたと証言しているのであるから、この供述を前提とすれば、覚せい剤を飲ませたことに気付かれなかったと思ったというのは、不合理である(なお、被告人は、前記二の1のとおり、Aに右のように言われた後、「シャブか。」と聞いたらAが「うん。」と答えたと供述しているから、被告人のこの供述を前提とすれば、被告人に覚せい剤のことを気付かれなかったと考えたというA証言は、いっそう不合理である。)。むしろ、三月二〇日付け手紙中の「Aのせいで」というのは、変更前のA証言が述べているとおり、自分が使い残りの覚せい剤の入ったタバコケースを被告人の車に置き忘れたため、被告人の逮捕のきっかけを作ってしまったということで責任を感じていたという意味に解する方が自然である。被告人の逮捕のきっかけを作ってしまったという程度の自責の念であれば、三月二〇日付け手紙以前の手紙の文面に現れていなくても不可解ではなく、被告人に指摘されて初めて詫びを入れたと考えても不自然ではない。

(三) Aの証言内容及び被告人の新供述との関係について

(1) Aは、被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れた動機について、被告人が具合悪そうだったから覚せい剤をウーロン茶に入れたと証言するが、単にそれだけの理由から、被告人に黙って覚せい剤を飲ませようと考えたというのは、説得力に欠ける。特に、Aの証言によれば、当時被告人は自動車の部品みたいなものを直していたというのであるから、なおさらである。

(2) Aの変更後の証言と被告人の新供述との間には、以下のとおり、いくつかの矛盾がある。

(ア)被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れる際の状況について、「1」Aは、被告人が、飲む前から自動車の部品みたいなものを直していたと証言しているのに対し、被告人は、当日E方で、寝たり起きたりの生活をしていたが、ウーロン茶を飲んでしばらくした後、携帯電話の修理を始めていたので、あれ、調子がいいなと思ったと供述している。「2」Aは、ウーロン茶はコーヒーカップに入っていたと証言している(もっとも、Aは、その後、その場にはガラスのコップもあった、どっちに入れたか忘れた、ガラスの方に入れたのかもしれないとも証言している。)のに対し、被告人は、ガラス製のコップに入れてあったと供述している。

(イ)被告人にウーロン茶を飲ませた後の状況について、「1」Aは、被告人に「元気が出る薬を入れた。」と告げたことがあると認めた後でも、「覚せい剤を入れた。」とは言っていない旨、元気が出る薬の話についても、被告人は冗談と思っていると思った、シャブを入れられたとは分かっていなかったと思う旨証言しているのに対し、被告人は、Aが、「お兄さん、調子よくなったんじゃない。」と意味ありげに顔をのぞき込んで言ったので、「何で。」と聞くと、「さっきウーロン茶飲んだでしょう。あの中に元気が出る薬入れたんだよ。」と言うので、「シャブか。」と聞くと、「うん。」と答えた旨供述している。「2」Aは、被告人が送つて行つてくれるのかと思って、ハンドバッグとタバコケースを自動車の中に置いていたところ、行かなくなったので、ハンドバッグだけは自動車から持ち出したが、タバコケースは車内に忘れてしまった旨証言しているのに対し、被告人は、その後一、二時間してから、どうしても帰宅しなければならない用事があったため、Aを自動車に乗せて帰途につき、途中eでタクシーを止めてAを乗せ、一万円渡して帰した旨供述している。

右のとおり、覚せい剤を飲ませた又は飲まされた際及びその直後の状況について、Aの証言と被告人の供述との間にかなりの食い違いがあることは、覚せい剤を飲ませるというのは特異な体験であつて、右のような点について思い違いなどしそうもないことを考えると、両名の供述の信用性を低下させるものといわなければならない。

2  被告人の新供述の信用性

(1) 被告人は、前記のとおり、当初から、覚せい剤自己使用の事実を全面的に認め、原審公判廷においても、積極的に、覚せい剤の入手経緯等まで記載した上申書を提出するなどしていたものである。被告人は、捜査段階及び原審公判廷で全面的に自白した理由につき、弟分から頼まれたAを逮捕させるわけにいかないので、服役を覚悟で虚偽の自白をしたと供述するが、覚せい剤取締法違反罪又は同罪を含む罪による実刑前科四犯を有する被告人は、本件について有罪と認定されれば、相当長期の実刑を免れないことを知悉していたと認められるから、右の理由は、被告人が捜査段階においてだけでなく、原審公判廷においても犯行を全面的に自白した事実を説明するものとしては、必ずしも十分な説得力を有するものではない。まして、被告人の平成五年一二月一〇日付け司法警察員調書によると、被告人は、昭和六〇年に、覚せい剤所持の容疑で検挙され尿から覚せい剤が検出された際、知らない間に覚せい剤の入ったコップの水を飲んだという弁解が通って起訴猶予になった経験を有することが認められるから、真実、今回も、知らない間に覚せい剤の入ったウーロン茶を飲んだのであれば、真相を主張して争うのが自然であり、前記の理由で虚偽の自白をしたというのは納得できない。

(2) 被告人が原審で提出した上申書には、被告人が、やむにやまれず一回だけ覚せい剤を使用した理由のほか、捜査段階において供述していた覚せい剤入手の経緯、すなわち、旧友(ただし、人の特定はない。)に電話したところ、その人が覚せい剤をやっていて、病院に見舞いに来たときに持って来てくれたという事情が記載されている。被告人が、右(1)のような理由で無実の罪を認めたに過ぎないのであれば、単に、公訴事実を認める供述をすれば足り、このような上申書まで提出する必要はなかったと思われるから、右上申書の存在は、被告人の新供述の信用性を低下させるといわなければならない。

(3) 被告人は、捜索の結果自動車内から発見された合計約二・九グラムに及ぶ多量の覚せい剤、注射器三組及び注射筒一本については、前記一の6のとおり、「自分の物ではない。入院中やその前後に、自動車を知人に貸していたが、貸していた相手については言えない。」旨供述し、結局、右覚せい剤の不法所持については訴追を免れたものである。しかし、被告人は、平成五年一一月二六日以降、たびたび病院を抜け出して、自動車を利用していたものであり、正式に退院となった同年一二月一日からでも、逮捕された日までに一週間の時日が経過している。そして、被告人が、まだ肝炎の治療途中であって、車内の清掃等をする気力がなかったことは理解できるにしても、その間、車内にあったこれらの物件に全く気付かなかったというのはやはり不自然である。特に、被告人は、当審公判廷において、病院を出た後自車の後部座席に乗ったことがあると供述しているが、そうであれば、後部左側座席前の床上に、特異な形をしていて目につきやすい状態で置かれていた黄色の蓋つきプラスチック容器(平成五年一二月九日付け写真撮影報告書添付の写真3参照。なお、その中には、ビニール袋入りの覚せい剤と覚せい剤の付着したビニール袋各一袋が入っていた。)等の存在に気付かない筈はないと思われるから、右プラスチック容器の存在にすら気付かなかったという被告人の供述は、甚だ不自然である。被告人は、一方においてAを逮捕の危険に晒しながら、他方において当審段階に至っても、自分が自動車を貸していた相手の名前は言えないとしている。これらの点は、被告人の新供述の信用性を著しく弱めている。

(4) 被告人は、Fから、四月初め頃になって、Aが今からでも被告人が助かるのであれば事実を証言すると言ってFに真相を話したと聞いた旨供述し、Fもこれに沿う証言をしている。しかし、Aは、次にみるいずれかの方法で、被告人の期待する供述の内容を察知して証言した可能性があるので、被告人の右供述及びFの右証言は、直ちには信用できない。

まず、三月二〇日付け手紙の冒頭にある「手紙読みました。」の手紙、すなわち、Aが前記のような文面の三月二〇日付け手紙を出すきっかけとなった被告人からA宛ての手紙である。この手紙の内容に関し、Aは、「求刑三年」と書いてあったと答えた後は、その他の内容に関する尋問に対して覚えていないと答え、その後になって、「Aのせいで捕まった」という記載があったと答えるに止まった。このように、Aは、被告人から自らの非を叱責されたということで忘れる筈のない手紙の内容について右以上には覚えていないと証言している。しかし、三月二〇日付け手紙の「Aのせいで」というのを、前記1の(二)のとおり、Aが被告人の逮捕のきっかけを作ってしまったという意味に理解するのが自然であるとすると、被告人は、「Aのせいで捕まった」と書くことにより、実際は、前記一の3ないし6のとおり、当初は木刀の隠匿携帯で、次いで、タバコケースに入った使い残りの覚せい剤以外にも多量の覚せい剤が被告人の車にあったことが原因で再逮捕されたにもかかわらず、これらの事実を知らないAに対し、いわれのない自責の念を植えつけたことになる。このことは、被告人に何らかの下心があってしたものと考えざるを得ない。このようにみてくると、A宛ての右手紙の中には、被告人の主張したい真相を示唆する記載のあった可能性がある。

次に、東京拘置所長作成の捜査関係事項照会回答書(二通)、検察事務官作成の九月二七日付け捜査報告書添付の被告人とFとの間の往復書簡写、検察事務官作成の同月二八日付け捜査報告書によれば、三月二〇日付けのAの手紙が被告人に着信した頃から四月上旬にかけて、三月二二日、二五日、二八日、三〇日、四月一日、五日、七日に、Fの接見が行われ、書簡も往復していること(他に、Fからの電報が三通、A宛の電報が一通打たれている。)が認められるから、この間、被告人とFは、接見や往復書簡、電報等で連絡を取り、被告人の尿から覚せい剤が出た事情についても、情報を交換し合うことが可能であったと考えられる。そして、三月二〇日付けのAの手紙では、自分が証人になって被告人を救いたいということまでは申し出ていなかったことや、前記1の(一)(1)の録音テープによると、Fが弁護人と共に五月一六日にAと会った際、Aが被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れた事実を認めようとしなかったにもかかわらず、Fが、四月初めに会ったときは認めたではないかとしてAを追及したりしていないこと、さらには、Aが事実を証言すると言っていたというのに、同女が証人喚問に応じず、勾引状を執行されてようやく出廷した当審公判廷においても、変更前の証言では、右の事実を容易に認めようとせず、不出廷の理由の一つとして被告人やFに会いたくなかったと供述していたことなどに照らすと、Aが、自分の置き忘れたタバコケースのために被告人が逮捕されることとなり、日頃世話になっている被告人やその家族に迷惑を掛けたと考えて責任を感じているのに乗じ、FがAに働きかけたのではないかとの疑いも否定できない。

(5) 被告人は、当審公判廷においては、当日Aに覚せい剤を飲まされたのは、夜一一時頃であったと供述しているが、四月二二日の松原弁護人との接見の際には、昼頃に飲んだ旨供述していることが認められる。

右は、被告人が、Aにより、覚せい剤を飲まされて無実の罪で有罪を宣告され、今後控訴審で冤罪を晴らそうという決意をした前後のことである筈であるから、覚せい剤を飲まされたのが真実であれば、その時刻について、このように大幅な記憶違いをするということは、考え難いことである。

(6) 前記二の6(1)記載のH証言によれば、覚せい剤の苦みは、一八〇CCの水やウーロン茶に入れて経口摂取した場合に、〇・〇二五グラムないし〇・〇三グラム以上になるとかなり確実に感じられると認められるが、A証言によれば、同人が被告人に飲ませたという覚せい剤の量は、少なくとも、〇・〇二グラム以下というような微量ではなかったことになると思われる。そして、被告人もAも、被告人は、ウーロン茶を一口に飲んだのではなく、何回かに分けて飲んだと供述しているのであるから、そのような飲み方で覚せい剤入りのウーロン茶を飲んだ被告人が、その苦みに全く気付かないということは、ありそうにないことといわなければならない。所論は、Aが被告人に飲ませた覚せい剤は、混ぜ物の多い粗悪品であった疑いがある旨主張しているが、右主張に根拠があるとは認められない。

3  以上の証拠の総合的な評価

以上検討してきたところを総合すれば、前記二の3以下の証拠のうち、これまでに言及した以外のものを考慮しても、平成五年一二月七日に被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れて飲ませたというAの証言及びこれに沿う被告人の新供述は、信用し難いといわなければならない。そうすると、一二月七日にAが被告人のウーロン茶に覚せい剤を入れて飲ませたのではないかとの合理的な疑いは生じないということができる。

4  G及びHの証言との関係

前記二の5及び6(2)のG・H証言によれば、覚せい剤は体内に摂取された後、二四時間ないし四八時間以内に大部分が体外に排出されること、被告人から平成五年一二月八日午後七時二分頃提出された本件尿は、覚せい剤の濃度が濃いもので、摂取後二四時間ないしせいぜい四八時間のものであったと推定され、提出の四日前に摂取したということも、全く考えられないわけではないが、これが、一回限りのものであるとすると、その確率は極めて低いこと等が明らかにされている。もっとも、H証言によれば、覚せい剤を連用中の者であれば、四、五日間はかなり濃い濃度で出ることが認められるが、被告人が最近覚せい剤を連用していた事実を認めるに足りる証拠はないから、右G・H証言によると、被告人の自白には、覚せい剤使用の日時、したがってまたその場所、方法についてその信用性に合理的な疑いが生ずる。そうすると、右自白以外に覚せい剤の具体的使用の日時、場所、方法を認定するに足りる証拠のない本件においては、公訴事実と同旨の事実を認定した原判決は、右使用の日時、場所、方法について事実を誤認したものといわなければならない。論旨は、右の限度で理由がある。

第五破棄自判

よって、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄した上、同法四〇〇条ただし書により、当審において予備的に追加された訴因について、直ちに次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は、法定の除外事由がないのに、平成五年一一月二五日頃から同年一二月八日までの間、千葉県内若しくは東京都内又はその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパンを含有するもの若干量を自己の身体に摂取し、もって覚せい剤を使用したものである。

(証拠の標目)(省略)

(累犯となる前科)

原判決摘示のそれと同一である。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、覚せい剤取締法四一条の三第一項一号、一九条に該当するが、被告人には、前記前科があるので、刑法五六条一項、五七条により再犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条により、原審における未決勾留日数中三〇日を右刑に算入し、原審及び当審における訴訟費用については、刑訴法一八一条一項本文により、当審の国選弁護人及び当審証人Aに支給した分を被告人に負担させる。

(弁護人の主張に対する判断)

所論は、(1)当審において検察官が追加請求をした予備的訴因においては、覚せい剤使用の日時、場所、方法及び量による訴因の特定性が、検察官が援用する最高裁の判例の事案と比較して格段に低く、右判例の要求する特定のレベルに達していないから、本件予備的訴因の追加請求を許可することは、右判例に違反する、(2)右予備的訴因の追加請求は、検察官が結審のわずか一週間前になって突如したものであり、しかも、その内容が前記のとおり具体性を欠くため、被告人側が何に対して防御すべきかも理解し得ないから、このような訴因は、刑訴法二五六条に違反する、(3)本件予備的訴因においては、覚せい剤の摂取に関する被告人の具体的行為については全く主張がないから、このような訴因は、覚せい剤が行為者の意思によることなく体内に入ったという状態を処罰する法規が作られた場合において、初めて審理の対象になり得るものであり、被告人が、覚せい剤を刑法上の故意を持って体内に入れたとの立証のされていない本件においては、右の訴因に基づく有罪の認定は許されない、などと主張している。

そこで、以下、検討する。

一  所論(1)について

確かに、本件予備的訴因における覚せい剤自己使用の日時、場所、方法及び量の特定が、検察官援用の判例の事案と比べゆるやかであることは、所論の指摘するとおりである。しかし、覚せい剤自己使用の事案においては、被告人の尿から覚せい剤が検出された以上、それが、被告人の意思に反して(すなわち、不知の間に、或いは強制的に又は欺罔その他の方法で)摂取させられた疑いがない限り、一定の期間(通常採尿時を遡ること二週間程度)内に、被告人が自らの意思で少なくとも一回何らかの方法で覚せい剤若干量を体内に摂取したことが推認される。そして、そのような場合に、捜査を尽くしても、右摂取の具体的日時、場所、方法及び量を明らかにすることのできないことがあり得るが、そうであるからといって、証拠上明らかな右自己使用の事実について公訴を提起することが許されないというのは不合理である。また、右のような事案においては、主として、現に尿から検出された覚せい剤が被告人の意思に基づいて体内に摂取されたものであるか否かが争点となるのであって、一定の期間中に一度も使用していないと主張する被告人にとっては争点は明白であるから、使用の具体的日時、場所、方法や量等につきある程度幅のある訴因の記載を許しても、被告人側の防御権の行使に支障を生ずることはないと解される。現に本件においても、後記二でみるとおり、覚せい剤を自己の意思により摂取したことはない旨被告人において十分に防御権を行使したと認めることができる。また、既判力、二重起訴、公訴時効等の点でも被告人に不利益を及ぼすことはない。検察官援用の判例も、以上と同旨の見解のもとに、覚せい剤自己使用罪の訴因について幅のある記載をすることを許容したものと解される。そうであるとすると、右判例の事案と本件予備的訴因との間に所論の指摘するような事実関係の相違のあることは、本件予備的訴因の追加請求を不適法とするものではないと考えられる。また、所論は、右判例の事案は、被告人が公判廷において具体的な覚せい剤自己使用の事実を自白していたのに、原審裁判所がその段階において訴因変更の手続をしないまま判決したことを弁護人が批判した事案であるのに対し、本件においては、特定の具体的自己使用の事実を主張する本位的訴因が証拠上明白に否定され、これに代わる何らの犯行態様も証拠上存在しないのであるから、このような状態で検察官が新たな訴因について審理を求めるのであれば、その訴因については、具体的な攻撃防御が可能な程度の目標が示されなければならない、その意味で、検察官援用の判例は、本件の先例とすることはできないとも主張する。しかし、覚せい剤自己使用罪の前記のような特質に照らすと、右判例の事案と本件との間の所論指摘のような審理経過の相違によって、右判例が本件の先例となり得なくなるとは考えられない。

二  所論(2)について

本件予備的訴因の追加請求が、当審公判の最終段階(すなわち、第六回公判終了後、結審の予定された第七回公判の一週間前)になってされたことは、所論の指摘するとおりである。しかし、本件は、被告人が捜査段階において、本位的訴因に係る公訴事実と同旨の自白をした上、原審公判廷においても、右公訴事実を全面的に認めて争わず、原審で取り調べられた証拠により、右自白の信用性が十分担保されていると考えられた事案である。そして、当審の審理経過をみても、検察官にとって本位的訴因の維持に不安を抱かざるを得ない状況が生じたのは、第五回公判におけるG、H両証人の取調べによってであったと考えられるから、本件予備的訴因の追加請求が時期的に遅過ぎるとはいえない。また、右予備的訴因を前提としても、被告人側の防御権の行使に支障を生ずることがないと認められることは、前記一で述べたとおりである。現に、本件においても、本位的訴因に沿う原認定の当否を審査する過程において、覚せい剤を自己の意思により摂取したことはない旨の被告人の当審供述及びこれに沿う証拠、とりわけA証言等の信用性をめぐり、十分な攻撃、防御が尽くされていると認められる。そして、この点に関する被告人側の防御は、とりも直さず予備的訴因に対する防御ともなっており、本件においては、これ以外に被告人側が新たな防御方法を講ずる余地はないと考えられる。したがって、本件予備的訴因の追加請求が、所論のいうように、刑訴法二五六条に違反するということはできない。

三  所論(3)について

確かに、本件予備的訴因において、覚せい剤の具体的摂取行為がどのようなものであったかが明確に主張されていないことは所論指摘のとおりであるが、右訴因も、被告人が覚せい剤を故意に摂取したと主張するものであることが明らかであるから、これが、所論のいうように、覚せい剤が行為者の意思によることなく体内に入ったという状態を処罰しようとするものではない。所論は、本件においては、覚せい剤を故意に体内に摂取したことの立証がないとも主張しているが、本件のように、被告人の尿から覚せい剤が検出された事案においては、これが、被告人の意思に反して摂取されたことを疑わせる事情が認められない限り、被告人が右覚せい剤を自己の意思に基づき摂取したと推認することができると解される。本件において、被告人が覚せい剤をその意思に反して摂取させられたことを疑わせる事情が認められないことは、前記第四において説示したとおりであるから、本件につき覚せい剤自己使用の故意の立証がされていないということはできない。

以上の理由により、前記所論(1)ないし(3)は、いずれもこれを採用しない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤文哉 裁判官 金山薫 裁判官 木谷明)

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